東京高等裁判所 平成7年(行ケ)259号 判決 1997年7月02日
東京都千代田区岩本町1丁目10番6号
原告
三光純薬株式会社
代表者代表取締役
渡辺瞭
訴訟代理人弁理士
石原詔二
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 荒井寿光
指定代理人
内田淳子
同
石橋和美
同
後藤千恵子
同
小川宗一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、平成6年審判第6598号事件について、平成7年7月28日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨。
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和61年8月14日、名称を「無機リンの測定法」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(特願昭61-191277号)をしたが、平成6年3月29日に拒絶査定を受けたので、同年4月21日、これに対する不服の審判の請求をした。
特許庁は、同請求を平成6年審判第6598号事件として審理したうえ、平成7年7月28日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年9月25日、原告に送達された。
2 本願発明の要旨
シュクロースホスホリラーゼを介在させてシュクロースと無機リンとを反応させ、生成したα-グルコース-1-リン酸にα-ホスホグルコムターゼ及びグルコース-6-リン酸デヒドロゲナーゼを組合せNAD(P)からNAD(P)Hを生成させ、この生成したNAD(P)Hの生成量を測定することによって無機リンを測定することを特徴とする無機リンの測定法。
3 審決の理由の要点
審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は、本願出願前に頒布された刊行物である「ANALYTICAL BIOCHEM ISTRY」Vol.142,p556-561(1984)(以下「引用例1」といい、そこに記載された発明を「引用例発明1」という。)及び「CLINICAL CHEMISTRY」Vol.22,No.7,p1179~1180(1976)(以下「引用例2」といい、そこに記載された発明を「引用例発明2」という。)に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることはできないとした。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中、引用例1及び2の記載事項の認定、本願発明と引用例発明1との一致点及び相違点の認定、引用例発明1及び2においては、最初に無機リンと糖の一種であるマルトース又はシュクロースを反応させ、最終的に生成したNADHを定量することにより最初の反応の基質である糖又は無機リンの量を定量していること、すなわち、引用例発明1及び2によって基質である糖又は無機リンの量が測定できるのは、基質同士の量及び基質と生成物の量との間に一定の関係があるためであること、引用例発明1では、シュクロースと無機リンが等モルで反応し、最終的に反応したシュクロースと等モルのNADHが生成し、生成したNADHの量を測定することによってシュクロースを定量していることは、いずれも認め、その余は争う。
審決は、本願発明と引用例発明1との相違点についての判断を誤った(取消事由1~3)ものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 取消事由1(相違点の判断の誤り(1))
酵素反応を利用した基質の測定方法は、測定対象試料(検体)中の酵素反応を阻害する物質の濃度が所定値以下の試料に対してのみ適用できる。そして、引用例発明1の測定方法は、測定対象であるトウモロコシ中に、酵素反応を阻害する物質としてグルコース、フラクトースが存在することを示し、それが影響を及ぼさない濃度範囲を開示しているが、更に高い濃度の阻害物質が存在した場合の影響の回避方法は何ら示唆していないから、シュクロースの正確な測定は困難である。例えば、本願発明が測定試料の1つとしている血液や尿中には、シュクロースホスホリラーゼに対する競合阻害を起こす量のグルコースが存在しているため、引用例発明1の方法で血液や尿中のシュクロースを測定することは不可能である。
しかも、引用例発明1において、測定対象をシュクロースから無機リンに変更する場合は、試薬組成は当然変更になり、その際、シュクロースホスホリラーゼに対する阻害物質であるグルコース、フラクトースに対してどのような対策を講ずるかを検討しなければならないにもかかわらず、引用例1にこれらのことは全く教示されていない。
したがって、当業者が、引用例1の開示事項から無機リンの測定が可能であると判断することはありえないことであり、審決の、引用例発明1の測定対象をシュクロースから無機リンに変更することを容易に思いつくとの判断(審決書6頁3~8行)は、誤りである。
2 取消事由2(相違点の判断の誤り(2))
酵素反応を完全に進行させるために基質を加える場合には、その阻害反応に留意しつつ行う必要があり、阻害反応のために充分量の基質を加えることができない場合もある。引用例発明1では、測定対象の基質であるシュクロースについての基質阻害に関しては何ら記載されておらず、測定対象を無機リンに変更してシュクロースを過剰に添加した場合にどのような阻害反応が生起するかは、実験をしなければ不明であるから、これを過剰に使用することができるとは限らない。
また、測定方法において基質を正確に定量するために、緩衝液等の中に測定対象の物質を含ませないことは当然のことであるが、それだけでは充分でなく、更に酵素反応の阻害物質を含ませないこと、あるいは、阻害物質を含むとしても酵素反応の阻害しない濃度範囲を確認し、その範囲以下とすることが必要である。
したがって、審決が、酵素反応における阻害反応を考慮することなしに、「この種の測定方法では、反応を完全に進行させて基質を正確に定量するために測定対象でない方の基質を過剰に使用すること、及び、対象となる基質のみを測定するために緩衝液等の中に測定対象の物質を含ませないことは、測定条件を設定するに際して当然考慮する事項であり、測定対象を定めれば測定系への添加物及び測定できない基質は自ずと定まる」(審決書6頁14行~7頁1行)と判断したことは、誤りである。
3 取消事由3(相違点の判断の誤り(3))
酵素反応においては、同一の酵素を用いる場合でもその酵素系に添加される物質及びその添加量が異なることによって、想定どおりには反応が進行しなくなることがある。まして、主反応の酵素として、引用例発明1はシュクロースホスホリラーゼを用い、引用例発明2はマルトースホスホリラーゼを用いるものであり、このように異種の酵素を用いる2つの酵素反応を組み合わせることは、全く不可能なことであるから、当業者であれば、このような異種の酵素反応を組み合わせて使用することは試みるはずがないものである。
したがって、本願発明が、引用例発明1及び2を組み合わせることによって、当業者が容易に発明することができたものであるとの審決の判断(審決書7頁2~5行)は、誤りである。
第4 被告の反論の要点
審決の認定判断は正当であって、原告主張の審決取消事由は、いずれも理由がない。
1 取消事由1について
酵素反応において、その進行を妨げる阻害反応が存在したとしても、現に進行したその酵素反応における、基質相互の反応比率及び反応した基質と生成物の比は、それが存在しないときと異なるわけではない。
引用例発明1の測定方法は、原告も認めるように、シュクロースと無機リンが等モルで反応し、最終的に反応したシュクロースと等モルのNADHが生成し、生成したNADHの量を測定することによってシュクロースを定量しているものであるから、測定されたシュクロースの量は、反応式に従って反応した無機リンと等モルであり、この方法によりシュクロースと反応した無機リンの量も測定することができる。このことは、引用例発明1において実際に反応が進行したものについての、基質相互及び基質と生成物との化学量論的関係から導き出されることであって、阻害反応の有無によって何ら影響を受けるものではないから、阻害反応を考慮する必要性はない。
また、引用例1には、トウモロコシ花柄抽出物を測定試料としてシュクロースを測定する方法が記載されており、その際シュクロースホスホリラーゼに対する阻害物質であるグルコース、フラクトースを示し、かつこれらが測定を阻害しない許容濃度を示すとともに、Pi濃度、シュクロース濃度とシュクロースホスホリラーゼ活性阻害との関係等についても言及しているのであるから、引用例発明のシュクロースの測定方法を無機リンの測定方法に変更することは、当業者が容易に想到するものである。
したがって、この点に関する審決の判断(審決書5頁17行~6頁8行)に、誤りはない。
2 取消事由2について
原告が阻害反応について論じていないから誤りと主張する審決の判断(審決書6頁14行~7頁1行)は、審判段階における原告(審判請求人)の「本願発明と引用例1に記載されたものとを比較すると、両者の測定原理を示した反応式は表面上同一であるとしても、両者は、測定対象が相違することに加え、測定系への添加物及び測定できない基質において相違する」(審決書6頁9~13行)との主張に対し、これらの相違は測定対象の違いによって自ずと生じた相違にすぎないことを述べたものであって、上記原告の主張は阻害反応について言及するものでないから、これに対する審決の判断が阻害反応について論じていないとしても誤りではない。しかも、審決は、シュクロースホスホリラーゼ活性阻害についても記載している引用例1を引用して判断するものであるから、酵素反応における阻害反応の視点が欠落しているとの原告の主張は、失当である。
3 取消事由3について
引用例発明1と引用例発明2は、無機リンと糖を基質として反応させ、最終的に生成したNADHを定量することにより最初の反応の基質である、糖又は無機リンの量を定量する発明である点で共通しており、審決においては、このような発明が属する技術分野において無機リンの量を定量するものの例として引用例発明2を示したのであり、引用例発明1と引用例発明2の個別の酵素反応の内容を組み合わせようとするものではないから、原告の主張は失当である。
第5 証拠
本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。
第6 当裁判所の判断
1 取消事由1(相違点の判断の誤り(1))について
引用例発明1及び2においては、最初に無機リンと糖の一種であるマルトース又はシュクロースを反応させ、最終的に生成したNADHを定量することにより最初の反応の基質である糖又は無機リンの量を定量していること、すなわち、引用例発明1及び2によって酵素反応の基質である糖又は無機リンの量が測定できるのは、基質同士の量及び基質と生成物の量との間に一定の関係があるためであること、引用例発明1では、シュクロースと無機リンが等モルで反応し、最終的に反応したシュクロースと等モルのNADHが生成し、生成したNADHの量を測定することによってシュクロースを定量していること、したがって、本願発明と引用例発明1とを対比すると、審決認定のとおり、「両者はシュクロースホスホリラーゼの存在下にシュクロースと無機リンとを反応させ、生成したα-グルコース-1-リン酸にα-ホスホグルコムターゼ及びグルコース-6-リン酸デヒドロゲナーゼを組合せてNADからNADHを生成させ、この生成したNADHの生成量を測定する方法である点で一致し、測定対象が前者では無機リンであるのに対し後者ではシュクロースである点で相違する」(審決書4頁9~17行)ものであることは、いずれも当事者間に争いがない。
以上の事実によれば、引用例1及び2の開示に基づき、当業者が、引用例発明1の酵素反応における基質であるシュクロースと無機リンのうち、無機リンに着目し、最終的に反応した無機リンと等モルのNADHが生成することから、生成したNADHの量を測定することによって無機リンを定量できることを理解し、本願発明の無機リンの測定法とすることは、特段の困難性なく想到できることと認められる。
原告は、引用例発明1において、測定対象をシュクロースから無機リンに変更する場合は、試薬組成は当然変更になり、その際、シュクロースホスホリラーゼに対する阻害物質であるグルコース、フラクトースに対してどのような対策を講ずるかを検討しなければならないにもかかわらず、引用例1にこれらのことは全く教示されていないから、引用例発明1の測定対象をシュクロースから無機リンに変更することが容易とはいえないと主張する。
そして、引用例1(甲第3号証の3)には、酵素反応の阻害要因に関して、「20倍量のグルコース、2倍量のフラクトースが存在しても、本測定に影響しない。一方、フラクトースが4倍量過剰に存在すると、測定に影響を与え、吸光度で20%程下げる。」(同号証の3訳文1頁13~15行)、「植物から得たシュクロース試料の主な不純物は、グルコース及びフラクトースと思われる。これらの糖がシュクロースよりモル濃度で4倍以上に含まなければ、A340値に有意な変化を与えなかった(図1)。グルコースだけで20倍量存在しても干渉しない。フラクトース単独はグルコース+フラクトースの場合と同様に影響を与える。フラクトースの干渉を除くための検討をおこなった。フラクトースは、Pseudomonas saccharophila由来(14)のシュクロースホスホリラーゼを用いた時の初速度には、L.mesenteroides由来の場合と同様に阻害を与えないが、最終反応のA340値を下げる。・・・フラクトースの阻害を受けるかどうかをみるためにNADとH+を変動させて測定した。しかし、NAD濃度を増加させるだけで反応速度を阻害し、ブランク値が高くなった。NADを吸光度の高い物質に変換させる程高いpHにしなければ(pH11)、pHをあげても最終反応のA340値を変えず反応が遅くなるだけであった(15)。Pi量が大きいと(約100mM)、シュクロース濃度200μM以下において75%程シュクロースホスホリラーゼ活性を阻害する。P.saccharophilia(16)由来の酵素について同様のことが報告されている(16)。従って、シュクロース濃度を100μMにして、加リン分解速度をPiのいくつかの低い濃度について求めた。最終A340はPi6~10mMでプラトーに達した(表1)。」(同5頁11~29行)、「本酵素法には限界が1つある。フラクトースは、シュクロースの4倍(モル)以上存在すればシュクロースの測定に妨害を与える。」(同7頁10~11行)との記載がある。
これらの記載によれば、引用例発明1において、グルコース、フラクトース及び無機リン(Pi)が、酵素反応を阻害する場合があることと、これらの物質が酵素反応に影響を与える濃度の範囲及びその対策が具体的に開示されているものと認められる。
したがって、当業者が、引用例発明1の酵素反応における基質の一つである無機リンに着目し、無機リンの測定法として採択しようとする場合には、上記の酵素反応の阻害要因及びその対策を考慮してこれを実施すればよいと理解できることは明らかである。
他方、引用例発明1とその酵素反応を同じくする本願発明においても、同様の阻害要因があるものと認められるところ、本願発明では、前示発明の要旨に認定したとおり、引用例発明1と同一の基質と一連の酵素からなる化学反応の構成が記載されているのみであり、本願明細書(甲第2号証、甲第4号証の2)の特許請求の範囲に、当該阻害要因に対する対策やその影響を受けない範囲等が開示されていないことはもとより、その発明の詳細な説明においても、当該阻害要因への対策を技術課題としてその解決方法や影響を受けない濃度等を具体的に示すような説明は、何ら記載されていないことが認められる。
以上によれば、当業者が、引用例発明1に基づき、その測定対象を一方の基質であるシュクロースから他方の基質である無機リンに変更し、これらの酵素反応の阻害物質につき開示するところのない本願発明を想到することについては、格別の困難性はないことは明らかであり、原告の上記主張は採用できない。
この点に関する審決の判断(審決書5頁17行~6頁8行)に、誤りはない。
2 取消事由2(相違点の判断の誤り(2))について
原告は、審決の判断(審決書6頁14行~7頁1行)が酵素反応における阻害反応を考慮していないと主張するが、前示のとおり、引用例発明1が酵素反応の阻害物質の濃度の範囲及びその対策等を開示するのに対し、本願発明は、引用例発明1と同一の酵素反応を利用するものでありながら、その酵素反応における阻害要因及びその対策については、本願発明の要旨にも特段の規定はなく、また、本願明細書にも、その課題・構成・効果のいずれにつき、これを具体的に開示若しくは示唆するところがない。そうすると、原告の上記主張は、このような本願発明の要旨及び本願明細書の内容自体に基づかないものというべきであって、到底採用できない。
3 取消事由3(相違点の判断の誤り(3))について
引用例発明1が、最初に無機リンと糖の一種であるシュクロースを酵素反応させ、最終的に生成したNADHを定量することにより、最初の反応の基質であるシュクロースの量を定量していること、引用例発明2が、最初に無機リンと糖の一種であるマルトースを反応させ、最終的に生成したNADHを定量することにより、最初の反応の基質である無機リンの量を定量していること、引用例発明1及び2によって酵素反応の基質である糖又は無機リンの量が測定できるのは、基質同士の量及び基質と生成物の量との間に一定の関係があるためであることは、いずれも当事者間に争いがない。
そうすると、引用例発明1と引用例発明2とは同一の技術分野に属するものであり、無機リンを測定対象とする引用例発明2に接した当業者が、類似の酵素反応を用いてシュクロースを定量する引用例発明1に基づき、その測定対象を酵素反応の一方の基質であるシュクロースから他方の基質である無機リンに変更してみることは、容易に想到できるところと認められる。
審決が、「本願発明は、引用例1及び2に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである」(審決書7頁6~8行、同旨7頁2~5行)としたのは、これと同じ趣旨であることは、審決の説示から明らかである。
原告は、引用例発明1と引用例発明2とは異種の酵素を使用しているから、両者の酵素反応を組み合わせることは容易でないと主張するが、審決の判断は上記のとおり、引用例発明1と引用例発明2の個別の酵素反応の内容を組み合わせようするものではないから、原告の主張はそれ自体失当である。
4 以上のとおり、原告の取消事由の主張はいずれも理由がなく、その他審決に取り消すべき瑕疵はない。
よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)
平成6年審判第6598号
審決
東京都千代田区岩本町1-10-6 TMMビル
請求人 三光純薬 株式会社
東京都豊島区東池袋3丁目7番8号 若井ビル401号 石原國際特許事務所
代理人弁理士 石原詔二
昭和61年特許願第191277号「無機リンの測定法」拒絶査定に対する審判事件(昭和63年3月1日出願公開、特開昭63-49100)について、次のとおり審決する。
結論
本件審判の請求は、成り立たない。
理由
本願は、昭和61年8月14日の出願であって、その発明の要旨は、補正された明細書及び図面の記載からみて、その特許請求の範囲第1項に記載されたとおりの、
「シュクロースホスホリラーゼを介在させてシュクロースと無機リンとを反応させ、生成したα-グルコース-1-リン酸にα-ホスホグルコムターゼ及びグルコース-6リン酸デヒドロゲナーゼを組合せNAD(P)からNAD(P)Hを生成させ、この生成したNAD(P)Hの生成量を測定することによって無機リンを測定することを特徴とする無機リンの測定法。」
にあるものと認める。
これに対して、原査定の拒絶の理由で引用されたANALYTICAL BIOCHEMISTRY Vol.142, p556-561(1984)(以下、「引用例1」という。)の第557ページ左欄には、「この報文は、以下の反応式に基づく組合せ酵素によるシュクロースの測定におけるシュクロースホスホリラーゼの利用を記載する:」としたうえで、さらに第556ページ左欄の下から3~1行の略号の説明を参照すると、シュクロースホスホリラーゼの存在下にシュクロースと無機リンを反応させてα-D-グルコース-1リン酸とフルクトースを生成させ、ホスホグルコムターゼによってα-D-グルコース-1-リン酸をα-D-グルコース-6-リン酸に転位し、α-D-グルコース-6-リン酸デヒドロゲナーゼの存在下にα-D-グルコース-6-リン酸とNADを反応させて6-ホスホグルクロン酸とNADHを生成させる反応式が記載されている。さらに、引用例1の第558ページ左欄のRESULTS第1~3行には、組合せ酵素による測定において、A340はシュクロースの量に直接比例した旨が記載されている。
また、同じく原査定の拒絶の理由で引用されたCLINICAL CHEMISTRY Vol.22, No.7, p1179~1180(1976)(以下、「引用例2」という。)には、「以下の反応式に従って無機リンを測定するための新たな酵素系が開発された:」として、
マルトースホスホリラーゼの存在下にマルトースとリン酸塩を反応させてβ-グルコース-1-リン酸を得、これをβ-ホスホグルコムターゼによってグルコース-6-リン酸とし、これをグルコース-6-リン酸デヒドロゲナーゼの存在下にNADと反応させて6-ホスホグルコン酸とNADHを生成させる反応式が記載されている。
そこで、A340の値がNADHの量と比例することを考慮して本願発明と引用例1に記載されたものとを対比すると、両者はシュクロースホスホリラーゼの存在下にシュクロースと無機リンとを反応させ、生成したα-グルコース-1-リン酸にα-ホスホグルコムターゼ及びグルコース-6-リン酸デヒドロゲナーゼを組合せてNADからNADHを生成させ、この生成したNADHの生成量を測定する方法である点で一致し、測定対象が前者では無機リンであるのに対し後者ではシュクロースである点で相違する。
上記相違点について検討すると、まず、引用例1及び2に記載されたいずれの測定方法においても最初に無機リンと糖の一種であるマルトース又はシュクロースを反応させ、最終的に生成したNADHを定量することにより最初の反応の基質である糖又は無機リンの量を定量している。
ところで、二の基質が酵素反応によって触媒されて別の物質が生成する場合、二の基質は特定の比率で反応すること及び同一条件下で反応した基質の量と生成物の量の比は一定の値を示すことは化学反応論が示すところである。引用例1又は2に記載された測定方法によって基質である糖又は無機リンの量が測定できるのは、基質同士の量及び基質と生成物の量との間に一定の関係があるためである。
そして、引用例1に記載された測定方法では、シュクロースと無機リンが等モルで反応し、最終的に反応したシュクロースと等モルのNADHが生成し、生成したNADHの量を測定することによってシュクロースを定量しているのであるから、反応式に従ってNADHの量を測定することによりシュクロースの量が測定できたという引用例1の記載は、引用例1に記載された方法によって、シュクロースと反応する無機リンの量も併せて測定できることを意味していると理解することができる。そうすると、シュクロースと無機リンが共に測定できる方法が無機リンを測定するために使用できるのは当然であるから、引用例1に記載された測定方法において、測定対象をシュクロースから無機リンに変更することは当業者が容易に思いつくことといえる。
なお、審判請求人は、本願発明と引用例1に記載されたものとを比較すると、両者の測定原理を示した反応式は表面上同一であるにしても、両者は、測定対象が相違することに加え、測定系への添加物及び測定できない基質において相違する旨主張する。しかしながら、この種の測定方法では、反応を完全に進行させて基質を正確に定量するために測定対象でない方の基質を過剰に使用すること、及び、対象となる基質のみを測定するために緩衝液等の中に測定対象の物質を含ませないことは、測定条件を設定するに際して当然考慮する事項であり、測定対象を定めれば測定系への添加物及び測定できない基質は自ずと定まるものであるから、これらが相違することをもって、本願発明が引用例1及び2に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるとの判断を覆すことはできない。
したがって、本願発明は、引用例1及び2に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。
よって、結論のとおり審決する。
平成7年7月28日
審判長 特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)